2024年安息日学校ガイド第一期
 「詩篇」

2024年1期11課 シオンの神を慕う


【日・あなたの庭で過ごす 1日は 1000 日にまさる】


 詩編843節「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます」

詩篇記者は魂が絶え入りそうなほど、主の庭(聖所)を慕い求めています。遠くから渡ってきたツバメが祭壇に巣を作り、雛を育てているのが羨ましいと思えるほどに(詩篇844)、また「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです」(詩編8411節)と言うほどに、主に庭にいたいのです。それはなぜかといえば、そこに主がご臨在されているからです。つまり、ほんのわずかでも良いから、主なる神のもとにいることを慕い求めているわけです。さらに詩篇記者は、「いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことができるなら」(詩篇845と、レビ人たちのように聖所で奉仕している人は何と幸いなことだろうと言います。また、「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は」(詩篇846と、神様によって勇気が与えられ、心に広い道を見ている人、すなわちシオンに向かって巡礼の旅をしている人は幸いなことだろうと言います。彼らは、「嘆きの谷を通ろうとも、主はそこを泉としてくださり、祝福で覆ってくださり、いよいよ力を増して進み、ついにシオンで神にまみえる」(詩編8478節)ことができるからです。私達は、これほどまで主を慕い求めているでしょうか。


 【月・エルサレムの平和を求める】


詩編1221節「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった」

詩編122編は、エルサレム巡礼の喜びと感動を表現しています。何のために巡礼するのか、「主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め」(詩篇1224)とあるように、主にこれまでの御恩寵に感謝をささげるためであり、「そこにこそ裁きの王座が、ダビデの家の王座が据えられている」(詩篇1225)とあるように、神の裁きを求めるため、そして、「エルサレムの平和を求めよう。「あなたを愛する人々に平安があるように」(詩篇1226)と、エルサレムとそこに神を愛する民の平和を主に祈り求めるためです。ともすると、自分の平和ばかり祈り求めてしまいがちですが、エルサレムが平和であってこそ、また同じ信仰を持つ共同体が平和であってこそ、自らも平和に生きることができるのです。エルサレムまで行かなくても、どこにいても神に感謝をささげ、平和を求めることはできますが、大変な思いをしてまでも、これらの目的のために巡礼する人々の心を主は喜んで下さることでしょう。


 【火・すべての民の故郷、シオン】


詩編872節「主がヤコブのすべての住まいにまさって愛されるシオンの城門よ」

詩編87編は、シオンが神に特別に選ばれ、愛された町であることを祝う賛歌です。シオンとは、エルサレムの南東にある丘で、もともとはエブス人の要塞があったところとして聖書に登場しますが、ダビデの支配下になったあと、ダビデは祭壇をここに築き、ソロモンのときには神殿が建てられたことから聖なる山となり、シオンは神殿の丘の別名、さらにはエルサレムの象徴となりました。シオンが尊ばれるのはこのような歴史的背景があるからですが、それ以上に重要なのは、神がこの「聖なる山に(すべての)基を置」(詩篇871かれたことです。シオンはすべての山の上にそびえ立ち、全世界に対する主の絶対的優越性を示しているのです。このことは単に過去の話ではありません。イザヤ22節には、「終わりの日に主の神殿の山(シオン)は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる」と預言されていますが、これは単にエルサレムという地上のシオンだけでなく、霊的な意味において、神が支配したもう神の国全体を表しており、「主は諸国の民を数え書き記される。この都で生まれた者と」(詩篇876節)とあるように、キリストの血により贖われたものたちはすべてに、神の民とされることを教えています。


 【水・シオンの安全と平和】


詩編4636節「わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも…神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる」

日本は世界有数の地震大国であり、世界のマグニチュード6.0以上の地震の約2割がこの日本で起こっていると言われています。日本国内には、わかっているだけでも約2,000もの活断層があり、また南海トラフ地震が起これば、死者32万人以上と想定されています。もはや逃げ場などないのではないかと、多くの人が感じています。そのような中にあって、この詩篇46篇は私達に希望を与えてくれます。大地震の中に神はいまし、神の民は守られるのです。そのことを信じて、私達は揺らぐことがないのです。また、このみ言葉は地震だけでなく、戦争や迫害や飢饉などの様々な混乱に飲み込まれそうになった時、その中に主はおられ、私達は揺らぐことがないのです。そして詩篇記者は、「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される」(詩編469節)と、私達を勇気づけてくれます。


【木・シオンの山のように揺らがない】


詩編1251節「主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る。」

主に依り頼む人は、不動と強さの象徴であるシオンの山にたとえられています。自分に力に頼って生きている人が決して手にすることのできない真の強さを手にすることができ、シオンの山のように揺らぐことがなくなるのです。「(シオンの)山々はエルサレムを囲み、主は御自分の民を囲んでいてくださる。今も、そしてとこしえに」(詩篇1252とあるように、神様は常に主により頼む人を、四方から取り囲まれるようにして守っていてくださるからです。しかし、そのような主により頼む者を誘惑する悪の力も存在しています。シオンの山の最大の安定も、主から離れる者を守ることはできません。それゆえ、詩篇記者は「主に従う人に割り当てられた地に主に逆らう者の笏(権威や力の象徴)が置かれることのないように。主に従う人が悪に手を伸ばすことのないように」(詩篇1253)、「よこしまな自分の道にそれて行く者を、主よ、悪を行う者と共に追い払ってください」(詩篇1255と祈っているのです。


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