2024年安息日学校ガイド第一期 「詩篇」 |
2024年1期3課 主こそ王
【日・主は私たちを造られた】
詩篇の神の描写は、私たちにとって神様がどのようなお方なのかを教えてくれます。
詩編8編2節
「主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名はいかに力強く全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます」
たとえば、詩篇8篇2節では、主の御名が全地に満ち、威光をたたえているとうたわれています。野に咲く花や木々、空を飛ぶ鳥の中に、また山々や海、広大に広がる宇宙、荒野でさえ、神を感じることができる。そのような目で詩篇記者はこの世界を見つめています。試練の中で神が見えないと訴える場面も出てきますが、逆に言えば、いつも見えていた方が突然見えなくなってしまったからこその「なぜ」なのです。
詩編100編3節
「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民主に養われる羊の群れ。」
また、詩篇100篇3節では、神は創造主であり、私達は主の御手の中で守られていることがうたわれています。私達は「主の民」であり、「主の羊」であるという概念は、神がご自分の民と密接な関係を望んでおられることを教えています。逆に、自らを、あるいは人間の手で造った偶像を頼ることの何と愚かなことかということを思わされます。創造主だけがご自分の民を祝福でき、ゆえに神は礼拝と信頼に値する唯一のお方なのです。
【月・主は支配される】
創造主としての主は、主権者、支配者であり、ゆえに「主こそ王」と詩篇の中で繰り返されています。王としての主とはどのような存在なのでしょうか。まずそれは、裁き主であるということです。
詩編97編 2節
「密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ、正しい裁きが王座の基をなす。」
この世の王の裁きはいつも正しいとは限りませんが、主なる神の裁きは常に正しいのです。また王としての主は、常にその民を守ってくれます。
詩編97編10節
「主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り、神に逆らう者の手から助け出してくださる。」
それゆえ、主の民は主を愛し、主を賛美し、主を礼拝するのです。
【火・神は裁き主】
裁き主として、神はこの世を裁き、悪の支配に終止符を打たれます。詩編75編を見ると、いくつかの比喩によって、悪人たちの破滅が描かれています。
詩編75編9節
「すでに杯は主の御手にあり調合された酒が泡立っています。主はこれを注がれます。この地の逆らう者は皆、それを飲み、おりまで飲み干すでしょう」
酒の入った杯の比喩は、神の怒りの激しさをあらわしています。
詩編75編11節
「わたしは逆らう者の角をことごとく折り従う者の角を高く上げる。」
悪人たちの角を折るというのは、彼らの力と支配の終わりをあらわしており、神は正しい者の角は高く上げられます。神は、「裁きの時を選び」(詩編75編3節)とありますが、それは終わりの時のことです。
詩編14編2、3節
「主は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」
神の裁きの執行に先立って、神は人々の生き方を調べ、救える者を探されます。この裁きは、「調査審判」と呼ばれることもあり、そのときに神が正しい者を擁護し、悪人たちの運命を決定されるのです。
【水・とこしえに契約を心に留める】
神の裁きという言葉は、不安を与えるかもしれません。しかし、「主は御自分の民を決しておろそかになさらず、御自分の嗣業を見捨てることはなさいません」(詩編94編14節)。「確かに、主の裁きは全地に及(びます)」(詩編105編7節)。そのとき、「主はとこしえに契約を御心に留められる」(詩編105編8節)のです。神がご自分の契約を心に留められるというのは、単なる記憶以上のことで、それは常に行動につながります。ヨセフをエジプトへ導くことによって激しいききんから守り、約束の時が満ちたとき、主はエジプトの奴隷状態から民を、モーセを通して導き出し、荒野を経験させた後、約束の地に入れられました。同様に、私達に対する契約は、信じる者たちが罪許されて、天の御国に招き入れられることです。
【木・あなたの定めは確か】
王である主が定められた律法は、「確か」です。この神の立法に従って生きるなら、素晴らしいことが起こると詩篇には繰り返しうたわれています。「主の律法は完全で、魂を生き返らせ」(詩編19編8節)ます。「無知な人に知恵を与え」(詩編19編8節)ます。「律法を愛する人には豊かな平和があり」(詩編119編165節)、「流れのほとりに植えられた木」のように、豊かな「実を結び、葉もしおれることが」ありません。「することはすべて、繁栄をもたら」(詩編 1編 2節)します。律法がどれほど素晴らしいものであるか、伝わってくることでしょう。律法が厳しいものだと感じることがあるならば、これらの詩篇のみ言葉を読み返してみると良いかもしれません。「その契約と定めを守る人にとって、主の道はすべて、慈しみとまこと」(詩編25編10節)に満ちているのです。
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