2024年安息日学校ガイド第2期 「大争闘」 |
2024年2期11課 差し迫った争い
【日・啓示の最後の争い】
黙示録14章7節
「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
神とサタンとの闘いは、最終的に私達が唯一真の神を礼拝するのか、それとも偽りの神サタンを礼拝するのかという形で展開していきます。サタンは自分を神のように思いこみ、自分を礼拝する者を求めています。キリストさえ誘惑し、「世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った」(マタイ4:8,9)ほどです。それゆえ聖書は、最終時代に生きる者たちに対して改めて、「天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」(黙示録14:7)と告げるのです。このとき注目しなければならないのは、私達が礼拝するお方が天地万物を創造された創造主であることに目を向けさせていることです。このことは創造の記念日である第七日安息日(土曜日)の大切さにも私達の目を向けさせます。サタンは真の礼拝を妨げるために安息日を変えようと試み成功しました。多くのキリスト教会が、安息日は第一日日曜日に変わったと主張しています。それゆえ最終時代、真の安息日がもう一度回復され、それを通して創造主なる神への忠誠が示されなければならないのです。
「神の戒めに従って真の安息日を守ることは、創造主に対する忠誠の証拠である。」(『希望への光』P1894)
黙示録12章17節に、「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証を守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った」と予言されていますので、これからますます安息日をめぐって激しい戦いが起こることが予想されます。「神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちには忍耐」(黙示録14章12節)が求められます。やがて安息日の真理がもっと広く、明らかにされる時が来ます。しかし、それに目をそむけ、偽りの安息日(第一日日曜日)を守り続けるなら、それは間接的にその制定者であるサタンを拝むことになり、「額や手に獣の刻印を受ける」(黙示録14章9節)ことになるのです。
【月・来るべき危機】
黙示録13章16節
「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。」
黙示録 13 章に、サタンの使いとして2匹の獣が登場します。そして、この獣の像(シンボル)を拝むように強要され、獣の礼拝者はみな、右手か額に獣の刻印を押されていきます。獣の刻印は、目に見えるしるしではありません。右手か額に押すことは、モーセがイスラエルの人々に、しるしとして神の律法を右手か額に結びつけなさいと命じたことの偽物です(申 6:8)。右手は行為と関係があり、額は思考や同意と関係があります。死の脅威を避けるために、獣の像を拝むことを選ぶ人もいれば、心から支持する人もいるでしょう。逆に、「獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた」(黙示録13章15節)り、「物を買うことも、売ることもできないよう」(黙示録13章17節)なる(経済的に苦しくなる)と書かれてあります。
キリストは「あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」(ヨハネ16章2節)と言われましたが、最終時代に起こる迫害は、同じ神様を信じていたはずのクリスチャンたちの手によってもたらされます。迫害者たちは、第七日安息日は間違いであると言って攻撃してくることでしょう。2012年6月教皇ベネディクト16世は、「日曜日は、主の日であり、男女の日であり、誰もが自由になれる日でなければなりません。日曜日を守ることで、私たちは人間の自由を守るのです」(公式サイトThe Holy Seeより)と言いました。また、『各時代の大争闘』には次にように書かれてあります。
「聖書の安息日をあがめる者は、法と秩序の敵であり、社会の道徳的抑制を破り、無政府と堕落とを引き起こし、神の裁きを地上に招く者であるといって攻撃される。彼らは政府に対して忠誠を尽くさないといって告発される。神の律法への義務を否定する牧師たちは、国家の権威に服従する義務は神によって定められたものであると講壇から主張する。立法府や裁判所においては、神の戒めを守る者たちについて虚偽の訴えがなされ、有罪の宣告が下される」(『希望への光』1887ページ、『各時代の大争闘』第36章)。
「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます」(テモテ二3章12節)。しかし、「何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません」(ペトロ一4:12)。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マタイ10章22節)と聖書は教えています。
【火・獣の正体(その 1,2)】
黙示録13章1節に「一匹の獣が海の中から上って来るのを見た」とあります。獣とは何を表しているのでしょうか。黙示録13章の中に書かれてある獣についての描写から、それがローマ法王を表していることがわかってきます。まず「竜(サタン)がこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与え」(黙示13:2)たとあります。これはローマ皇帝コンスタンティヌスが首都をローマから現在のトルコに移したことによって空白となった帝都ローマに、異教ローマが入り、そこで大きな権力を得たことを表しています。「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した」(黙示録13章3節)と預言されていますが、これはすでに学んだフランス革命の際にローマ法王ピウス6世が幽閉され、長年続いてきた教皇制が一時的に途絶えてしまうことを表しています。しかしその後、すぐに新しい教皇がつき、全地は驚き服従します。今やローマカトリックの信徒数は、全世界に広がっています。法王の影響力は中世の暗黒時代以上です。また、これもすでに学んだ獣の活動期間である「四十二か月の間(1260日)」(黙示録13章5節)についても記されています。
さらにこの獣は数字にあらわすことができ、「その数字は六百六十六である」(黙示録 13:18)と記されています。6と言う数字は完全数7に1つ足りない不完全数です。それが3回繰り返されているわけですが、これをローマ法王に当てはめることができるでしょうか。ローマ法王の冠には、ラテン語で「神の子の代理者」を意味する"Vicarius Filii Dei"という言葉が書かれてありますが、ラテン語は数字に変換することができ次のようになります。VICARIUS FILII DEI…V=5、I=1、C = 100、A=0、R=0、I = 1、U = 5、S = 0、F = 0 I=1、L = 50、I = 1、I = 1、D = 500、E = 0、I = 1 合計すると666になります。さらに「獣は口を開いて神を冒瀆し」(黙示録13章6節)とありますが、法王は自らを神の子の代理者と呼び、ゆえに罪を赦す権威を持っていると主張します。これはまさに非聖書的であり、神を冒涜することです。
獣の神への冒涜行為はこれだけにとどまりません。何と、創造の記念日である安息日を違う日に変えてしまったのです。これはカトリック教会自信が認めていることです。1977年に出版された『改宗者のためのカトリック教理問答』の中でこう述べています。
問い…安息日はいつですか? 答え…土曜日が安息日です。問い…どうして土曜日の代わりに日曜日を守るのですか? 答え…私たちが、土曜日の代わりに日曜日を守るのは、カトリック教会が土曜日から日曜日に移したからです。
この安息日を変える試みは、旧約聖書のダニエル7章25節で、「彼はいと高き方に敵対して語り いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ」と預言されており、神はそうなることをあらかじめ知っておられ、預言者を通して告げておられたのでした。
【木・地中から来た獣】
黙示録13章11節
「わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた」
終わりの時代が近づいた時、もう一匹の獣が地中から上がってくるのをヨハネは見ました。この獣はアメリカを象徴しています。1776年に独立を宣言し、19世紀後半には世界の大国として認められ、今や世界で最も力を持つ国となりました。小羊に似た角は力を象徴し、二本あるのは、アメリカの特徴である政教分離の原則、すなわち政治的自由と宗教的自由を表していると考えられます。このもう一匹の獣は竜のようにものを言うとあり、どの国も逆らえないような力を持っています。そして、驚くべきは、「致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませ」(黙示録13章12節)ることです。これはいったい何が起こるというのでしょうか。これは「この国が権力を行使して、法王権に対する礼拝行為となるような何かの遵守を強要することを示しています」(各時代の大争闘下P161)。いったい、それは何でしょうか。
「プロテスタント諸教会が、日曜日遵守を強要することは、法王制、すなわち獣を拝むことを強要することである。第四条の要求を知りながら、真の安息日の代わりに偽物を守ることを選ぶ者は、そうすることによって、それを命じた唯一の権威に敬意を表しているのである。しかし、宗教的義務を世俗の権力によって強制するという行為そのものによって、教会自身が獣の像を作るに至る。それゆえに、米国における日曜日遵守の強制は、獣とその像の礼拝の強制となるのである」各時代の大争闘下P170
聖書は、「まず背教が起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない」(第二テサ2:3)と預言しています。まず日曜順守という背教が起こり、不法の者、滅びの子が現れるのです。「この「不法の者」とは、千二百六十年の間、至上権をふるうと預言された法王権のこと」(各時代の大争闘下P50)なのです。そしてダニエルの時代、金の像を拝むことを強制されたとき、命をかけてそれを拒んだ青年たちのような信仰に固く立つ者たちこそが、残りの民となるのです。
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