2024年安息日学校ガイド第2期 「大争闘」 |
2024年2期12課 地球最後の諸事件
【日・神と神の言葉に対する忠誠】
「真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな。」箴言23章23節
サタンは欺瞞者です。サタンの嘘に騙されないためには真理を知ることが鍵です。では真理とは何でしょうか。それは、キリストが、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と言われたように、キリストご自身が永遠に変わることのない真理であり、また、「あなたの御言葉は真理です」(ヨハネ17:17)とあるように、主のみ言葉である聖書が真理です。そうすると、「真理を得る」とは、キリストを得る、み言葉を得ると言うことになります。つまり、キリストとともに生き、その関係を深めつつ、また日々聖書を学んでいる人は、しだいに真理に目が開かれて、サタンの欺瞞を見分けることができるようになるのです。しかし、理解するのが難しいみ言葉もあります。それに対しては、「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16章13節)ので、聖霊の助けを祈り求めることが大切です。また、自分に都合よく解釈してしまう危険もあるかもしれません。「聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではありません。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(ペトロ二1:20、21)と教えられていますので、注意が必要です。
【月・天のための証印を受ける】
「神の戒めに従って真の安息日を守ることは、創造主に対する忠誠の証拠となり…神の印を受ける」(各時代の大争闘下P375参照)しるしとなります。しかし、「安息日を守ると公言する者がみな印を受けるわけではありません…真理の光を与えられ、主のみ心を知る者は…それにふさわしい行為が伴わなければならないからです」(教会への勧告上P402参照)。「品性に一つでもしみや汚れがある間は、私達のうちだれ一人も神の印を受けることはない」(教会への勧告上P403)のです。しかし、絶望的に思う必要はありません。「キリストの死によって、すべての魂のために十分な備えがなされているからです。キリストは常に私達の助け手です。ただ信じてイキリストの名を呼び求めるのです。そうすれば、主はあなたの祈りを聞いて答えてくださいます」(教会への勧告上P403参照)。それと共に、次の証の文の言葉にも目を向けたいと思います。
「神は、罪人を救うのにわれわれの助けがなくても、目的を達することがおできになったのである。だがわれわれがキリストのような品性を発達させるためには、キリストの働きにあずからねばならない」(各時代の希望上P163)
なぜ、神様はその働きを私達にゆだねられたのでしょうか。それは私達を神様の働きを通し、キリスト者として成長させるためです。神様に自分をささげて献身するとき、信仰の面だけでなく、品性の面においても成長するのです。ぜひ自分のできる神様の働きに参加してみましょう。
【火・私たちは誰を礼拝するのか】
最後のとき、私達は創造主を拝むのか、それとも獣とその像を拝むのかのどちらかに分かれます。中立はありません。天地創造の記念として、神様は第七日土曜日を聖とされました。そして、私達にも同じ第七日土曜日を安息日として聖別し、神様を礼拝することを求めておられます。それに対し、サタンはこの安息日を憎み、第一日曜日に変えようとしてきました。多くの教会が日曜日に礼拝しているのを見れば、いかにサタンの策略が成功しているかがわかるでしょう。再臨がいよいよ目の前に迫ってきたとき、サタンは日曜順守の強制さえ試みることでしょう。もし偽りの安息日を受け入れるなら、それは結果的にサタンの権威に従うことになり、創造主なる神ではなく、サタンを礼拝することになることを知らなければなりません。
【水・前の雨と後の雨】
神様は終わりの時に、「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ」(ヨエル書3章1節)と約束されました。この約束の成就を、使徒1~2章の中に見ることができます。聖霊降下を待つようにと言われたキリストの言葉によって、120人ばかりの弟子たちが、一つ所に集まり熱心に祈っていると、突如激しい風が吹くような音が鳴り響き、一人ひとりの上に聖霊が下ってきたことが記されています。そして、その日なんと3000人もの人たちが悔い改めて神様を信じたのでした。この驚くべき聖霊降下は前の雨と呼ばれます。なぜ「前」なのかと言うと、終わりの時にもう一度聖霊降下があるからです。これを後の雨と言います。「後の雨は、(前の雨よりも)いっそう豊かに聖霊が降りそそ」(キリストの実物教訓P98)ぎます。前の雨は、蒔かれた福音の種を発芽させるために注がれましたが、後の雨は、豊かな実りと収穫のために降り注ぎます。だから私達は最後にリバイバルが起こると信じているのです。このリバイバルは、教会レベルでみれば、初代教会の時のように、経験したことがないほど大勢の人達が救われることとなり、また個人レベルで見れば、私達一人ひとりがキリストのように変えられていくという形で成就します。
「聖霊は、わたしたちが聖霊を求めて、受けることを待っておられる。聖霊の力によって、キリストの完全なみかたちが、もう一度、あらわれなければならない。」キリストの実物教訓P98
【木・力強い声】
サタンの都バビロンは倒れます。そこは悪霊の住みかであり、あらゆる汚れた忌まわしいことやみだらなことを行い、ぜいたくや富に溢れています。バビロンは「混乱」を意味するバベルから来た言葉ですが、そこには富や名声はあっても平安はなく、常に不安と不信が渦巻き、汚れに満ちています。そして、神様はそこにおられません。そんなバビロンの世界に生きる者たちは、すべて倒れるときが来きます。だから、巻き込まれないようにバビロンから離れされと天使は警告しているのです。しかし、その前に、全世界に最後の神の招きがあります。
「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」マタイ24章14節
安息日の回復、神の印と後の雨、全世界に福音が述べ伝えられること、どれもが一連の終わりの時の流れの中にあります。私達はまさにその目撃者となることでしょう。しかし、傍観者となるのではなく、すべてを経験していくものとなるのです。
(C)2010 NAGOYA SDA CHURCH