2024年安息日学校ガイド第2期 「大争闘」 |
2024年2期13課 神の愛の勝利
【日・苦難の時の希望】
調査審判が終わりキリストは再臨されるまでの間、この世界はどのような状態となっているのでしょうか。聖書はいくつかのことを示唆しています。
①不正を行う者と正しいことを行う者とにはっきり分かれる。(黙示録22章11)
②国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難がある(ヤコブの悩みの時)(ダニエル12章1、エレミヤ30:7)。
参照
黙示録22:11「不正を行う者にはなお不正を行わせ…、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ…」
エレミヤ30:7「災いだ…このような日はほかにはない。ヤコブの苦しみの時だ…」
なぜこのような状態になるのでしょうか。それは悪をとどめていた聖霊が、もう働かなくなるからです。悪人たちはもはや悔い改めることがありません。世界はますます混沌とし、悪と汚れに満ち、苦難と困難に襲われることでしょう。しかしそのとき、救いが起こるのです。患難時代は絶望ではなく、逆に救いの時が目の前に近づいている希望の時でもあるのです。
参照
ダニエル12:1「その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く。国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。…」
苦難の中にあって救いの希望を持ち続けるためには、救い主イエス・キリストに望みをおき、キリストとの関係をしっかり築き上げていることが重要です。そして、「御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます」(ヨハネ一3:3)。やがてそのような者たちはみな、「御子が現れるとき、御子に似た者となる」のです。「なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです」(ヨハネ一3:2)。
【月・間もないイエスの再臨への希望】
終わりの時の苦難に対して、多くの人が不安に思っていることでしょう。キリストはそのような人たちに対して、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14:1)と言われました。そして、こう続けられたのです。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所にあなたがたもいることになる」(ヨハネ4:2,3)。
キリストは、私達のために希望に満ちた約束をしてくださいました。それは天に住まいが用意されているという約束です。そして、そこに向かい入れるために戻ってくるとの約束です。だから、苦難の中にあっても希望を持ち続けることができるのです。来るべき最後の日を私達は同のように迎えるのでしょうか。
・救われる者
イザヤ25章8、9節「主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう」
・救われない者
黙示録6章15~17節「地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。」
【火・地上の千年期】
黙示録20章1~3節「わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。」
救われる者たちが天に帰っていったあと、地上は1000年(象徴かもしれない)の間荒れ果て、人のいない状態になります。その荒れ果てた世界を、黙示録20:1~3では「底なしの淵」と表現し、そこにサタンは閉じ込められることになります。IIペトロ2:4では、このことをサタンとその天使たちが「暗闇という縄」による罰を受けると書いています。ところで、この「底なしの淵」という表現は、創世記1:2の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」の「深淵」という言葉にあたります。つまり、「底なしの淵」とは、宇宙のどこかにある地下の洞窟や大きな裂け目などではなく、この地球が、天地創造前の混沌とした世界に戻り、そこにサタンは閉じ込められるということなのです。では、救われなかった人間はその間、どうなっているのでしょうか。
エレミヤ書4章23~25節には、「わたしは見た。見よ、大地は混沌とし空には光がなかった。わたしは見た。見よ、山は揺れ動き、すべての丘は震えていた。わたしは見た。見よ、人はうせ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた。」
この地上は1000年の間、誰もいない状態になります。各時代の大争闘下P218にこれらのことが完結に次のように述べられています。
「サタンは、自分が神の民に犯させたすべての罪を背負って、千年の間、この地上に監禁される。地上はその時、荒れ果てて住む者もいない。そして彼は、ついに、すべての悪人を滅ぼす火の中で、罪の刑罰を余さず受ける」各時代の大争闘下P218
【水・千年期の裁き】
千年期の間、悪人の審判が行なわれます。使徒パウロはこの審判を、再臨に続いて起こる出来事として次のように示しています。
「だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう」(コリント第一4:5)。
またダニエルは、日の老いたる者がきて、「いと高き者の聖徒のために審判をおこなった」(ダニエル書7:22)と語っています。この時、救われた義人達は王また祭司としてこの裁きに加わります。
「また見ていると、数多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。」「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する」(黙示録20:4、6)。
彼らはキリストと共に悪人を審き、その行為を法規の書すなわち聖書と照らし合わせ、それぞれのなしたわざに従って、すべての者に判決を下すのです。(各時代の大争闘下P444参照)また、その際、なぜ彼らは救われなかったのか主に尋ねることができます。そしてその答えに納得するのです。千年期が終わると、悪人たちは復活します。そして、サタンはその牢から解放されます。サタンは復活した悪人たちを集めて、神との最後の戦いのために備えます。そのとき、キリストが聖徒たちと天使の大軍をひきつれて天から降りてきます。さらにそれに続き、何と天の都エルサレムが都ごと降りてくるのです。
「イエスは聖徒たちと天使の大軍をひきつれて都を出発された。イエスがある大きな山の上におり立ち、足を地面につけたもうと同時に山は裂けて大いなる平地となった。そのとき上を仰いで見ると、そこには十二の基と十二の門のある大いなる美しい都が見られた。門は四方の側に各々三つずつあって、門ごとに天使がついていた。わたしたちは、「都だ、大いなる都が天の神のみもとからおりて来る」と叫んだ。都は、目もくらむばかりにまぶしく照り輝く栄光のうちに、イエスの備えたもうた大いなる平地に落ちついた」生き残る人々P469
これに対して、サタンは救われなかった海の砂のように多い人々を集めて攻撃をしかけてきます。
「地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグ(サタンによって惑わされ救われなかった諸国の民を象徴)を惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる」(黙示録20章9節)。
サタンは総攻撃をしかけてきますが、その瞬間、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽くします。そしてサタンは火と硫黄の池、すなわち地獄に投げ込まれます。
【木・二つの永遠】
コリントの信徒への手紙二5章10節
「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。」
黙示録20章15節「その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。」
聖書は、私達が生きている間に行ったことに応じて、それぞれ必ず報いを受けなければならないと教えています。神を信じ、罪赦された者たちの報いは等しく永遠の命ですが、悪人たちはそれぞれの行いに応じて裁かれ、火と硫黄の池にて報いを受けなければなりません。そのために彼らも復活するのです。エレン・ホワイトの次のように語っています。
「記録の書が開かれ、イエスの目が悪人たちの上に注がれるやいなや、彼らはこれまでに犯した罪の一つひとつを意識する。彼らは、自分たちがどこで純潔と聖潔の道から足を踏みはずしたか、高慢と反逆のためにどんなに神から離れてその律法を犯したかということを悟る。罪にふけることによって誘惑をますます魅力的にしたこと、祝福を悪用したこと、神の使者たちを軽べつしたこと、警告を拒んだこと、神の恩恵を、頑固な悔い改めない心で拒絶したこと─すべてのことが、ちょうど火の文字で書かれているかのように現される…全世界の悪人たちは、天の政府に対する大反逆という罪名のもとに神の法廷に告訴される。彼らを弁護する者もなければ、言いわけの余地もない。こうして永遠の死の宣告が彼らに下される」(『希望への光』1924、1925ページ、『各時代の大争闘』第42章)。
悪人たちはすべて火の池で滅ぼされますが、永遠に苦しみ続けるということはありません。「それぞれの行いに応じて」とあるように、それぞれの行いの報いを受けたならば、それで終わります。
黙示録20章10節において、「この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる」と、「世々限りなく」という表現が使われていますが、この言葉は、「終わりがない」という意味ではなく、何かが完全に達成されるまでという意味です。また、彼らを滅ぼす行為に「終わりがない」のではなく、彼らの滅びそのものに「終わりがない」、つまり、もう二度と生き返ることはないという意味に解釈することもできかもしれません。神は永遠の拷問者ではないのです。
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