2024年安息日学校ガイド第2期 「大争闘」 |
2024年2期6課 2 人の証人
【日・2 人の証人】
黙示録11章3、4節
「わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。」
黙示録11章に二人の証人が登場します。彼らは第四課で学んだ1260年間、すなわちローマ法王が絶対的権力をふるった中世暗黒時代に、深い悲しみと悔い改め、祈りを表す荒布をまとい、預言すなわち神の真理の言葉を語ります。「この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である」と書かれてありますが、いったい誰のことを表しているのでしょうか。実は、これと似た幻がゼカリヤ4章にも出てきます。
ゼカリヤ4章1~3節
「わたしに語りかけた御使いが戻って来て、わたしを起こした…彼はわたしに、「何を見ていたのか」と尋ねたので、わたしは答えた。「わたしが見ていたのは、すべてが金でできた燭台で、…その傍らに二本のオリーブの木があり、一つは容器の右に、一つは左に立っていました。」
預言者ゼカリヤは黙示録のヨハネと同様に、金の燭台とその両側に2本のオリーブの木が立っている幻を見ます。ゼカリヤが「主よ、これ(金の燭台)は何でしょうか」(ゼカリヤ4:4)と尋ねると、み使いは「これはゼルバベル(バビロンから帰還するときに活躍したユダヤの指導者)に向けられた主の言葉である」(ゼカリヤ4:6)と答えます。主の言葉、すなわち聖書のみ言葉が燭台の光のように、それを聞く者に光として輝くであろうということです。詩篇119:105のみ言葉を思い出します。そこには、「あなたの御言葉はわたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」とあります。まさに金の燭台はこのことを表しているのです。ゼカリヤは続けて、「燭台の右と左にある、これら二本のオリーブの木は何ですか。」(ゼカリヤ4:11)と尋ねます。よく見ると、そのオリーブの木の枝先から金の管が出ていて、そこから油が注ぎ出されています。燭台の光は常にオリーブの木から油が補充されるので消えることがありません。すると、み使いは、「これは全地の主の御前に立つ、二人の油注がれた人たちである」(ゼカリヤ4:14)と答えます。油は聖霊を象徴しており、聖霊に満たされた二人の人が、途切れることなく神のみ言葉を語り続け、それが人々を照らす光となるであろうということです。これは、バビロンによって滅ぼされた国を再建するために、指導者ゼルバベルと祭司ヨシュアの二人の油注がれた人たちを中心に、公の礼拝において聖書を朗読し、み言葉によって人々に希望の光を与え、国を再建する力としていったことで実現しました。
では、黙示録11章の幻では、どのような形でこの幻が実現したのでしょうか。聖書を読むことが許されず、また教会に都合の良い解釈がなされる暗黒時代にあって、宗教改革者たちは聖書研究の結果、真理に目覚めました。そして、聖書を翻訳して人々にも神様の言葉が光となって届くようにしました。では、二人の証人とは誰のことでしょうか。各時代の大争闘上P341に、「二人の証人というのは、旧約と新約の聖書を表わしている。両方とも 、神の律法の起源とその永続性に関する重要な証言である」とあります。旧約聖書と新約聖書が神の証人として、燭台の光のように多くの人々を照らすということです。また、これは宗教改革者たちのように、聖書のみ言葉を正しく伝えるものたちのことを表しているとも解釈できるでしょう。
黙示録11章5、6節
「この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。彼らには、預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、あらゆる災いを地に及ぼすことができる。」
聖書の言葉を拒んだり、害したりするなら、そのみ言葉自身が、そのような人たちを裁くことになります。また、彼らは、預言している間、雨が降らないようにしたり、水を血に変ええたり、災いを地に及ぼすこともできるとありますが、この描写は、神の言葉によって雨が3年半もの間降らなくなったエリヤの物語や、モーセが神の言葉を通して、水を血に変えたり、あらゆる種類の災いをエジプト人にもたらされた出来事を想起させます。エリヤやモーセのように、同じ精神をもって働く神の民には、神の力強い御手が働いて、その働きは広がっていくのです。
【月・預言の期間】
黙示録11章3節
「わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」
2人の証人は、「粗布をまとい、千二百六十日の間、預言」します。聖書の権威がないがしろにされ、人間的な権威が大きな力を持った西暦538年から1798年までの中世暗黒時代にあって、そのような時代だからこそ、主は二人の証人すなわち聖書の真理の言葉が語り続けられることを預言しています。数は決して多くはありませんでしたが、ワルド派、フス、ヒエロニムス、ルター、ツヴィングリ、カルバン、ジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレー、そのほか大勢の改革者たちが次々に起こされ、迫害にさらされながらも彼らはみ言葉に忠実に生きたのでした。ところで、この1260年という期間は、42か月だったり、一時と二時と半時だったり、表現を変えて繰り返し聖書の中に記されていますが、このような特定の期間が、表現を変えてまで、繰り返し強調されている時の預言はありません。それくらい重要であるということです。いつの世も、悪魔は聖書の真理から私たちを遠ざけようとします。これは今も同様です。そのようなとき、私たちも二人の証人である聖書のみ言葉に耳を傾け、またそれを世に語り続けなければならないということなのです。
【火・2 人の証人が殺される】
黙示録11章7節
「二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。」
西暦538年に、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスは、民事的、政治的、宗教的権威を教皇ウィギリウスに移譲し、中世の教会による長い支配の時代が始まり、それは1798年まで続きました。1798年2月10日、ナポレオンの命令を受けたフランスの将軍ベルティエが、ローマに進軍し、教皇ピウス6世は捕虜となって死亡し、1260年の預言期間が終わるのです。するとサタンは、別の手を使って聖書の真理に対して攻撃をしかけます。「底なしの淵から上って来た獣(サタン)」が、二人の証人すなわち聖書を殺してしまうと言うのです。このような預言に私達は少なからずショックを覚えるのではないでしょうか。しかし、「二人がその証しを終えると」とあるように、神の働きがなされる前に終わるということはないのです。なすべき働きをすべて終えるまで、必ず神様は守られるのです。
では、この預言は具体的に何を表しているのでしょうか。それは1789年に始まったフランス革命を通して、聖書の権威に対する新たな攻撃が開始されたことを預言するものでした。フランス革命では、無神論的宗教として、「理性」が重んじ、全国で「理性の祭典」が開催されたり、教会が「理性の寺院」と化したり、生きた女性が「理性の女神」とされたり、さらには聖書が路上で燃やされ、神は存在しないと宣言されたのでした。教会に対する反発がこのような形で現れたわけですが、サタンの攻撃は臨機応変、どのような形であれ結果が同じであれば良いわけです。
黙示録11章8、9節
「彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。さまざまの民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は、三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。」
エジプトは真の神を否定する多神教の国を象徴し、ソドムはひどい不道徳を象徴しています。フランス革命では、革命と流血の中で通常の抑制が緩み、無神論と不道徳が横行したため、旧約聖書と新約聖書という神の2人の証人が死んでしまったのでした。黙示録11章9節によれば、神の2人の証人の遺体は「三日半」(預言的に3年半)の間、埋葬されずに横たわるとありますが、これはフランス革命の中で、無神論がパリで宗教廃止令が出された1793年11月26日から、政府が宗教制限法を撤廃した1797年6月17日までの3年半を指すと考えられます。
【水・復活した 2 人の証人】
黙示録11章11、12節
「三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが立ち上がると、これを見た人々は大いに恐れた。二人は、天から大きな声があって、「ここに上って来い」と言うのを聞いた。そして雲に乗って天に上った。彼らの敵もそれを見た。」
フランス革命が終わると、驚くべきことに、力強い信仰復興運動が起こり、世界中に宣教師が派遣されるようになります。まさに「命の息が神から出て、この二人に入った」とある通りです。これは偶然ではなく、初めから神のご計画の中にあったのです。サタンが勝利したかのように見えたとしても、サタンが勝利することは決してないのです。また二人の証人はそのあと天に昇っていきますが、「主よ、とこしえに御言葉は天に確立しています」(詩編119編89節)とあるように、天の神様の言葉であり、とこしえに神の言葉は変わることなく、根絶されることもないのです。それとともに、この預言は、聖書の真理を述べ伝えるものたちが、やがて天に昇っていくことを預言しており、迫害の中にある人々を励ましています。
【木・真理の勝利】
その後、第七の天使がラッパを吹かれます。すると、天では大きな歓声が起こり、主なる神の永遠の統治が宣言されます(黙示録11章15節)。するとヨハネは、「天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見」(黙示録11章19節)ます。その箱の中には神の律法が収められています。私たちは信仰を通して恵みによってのみ救われますが、神の律法に従うことは、私たちの信仰が本物であるかどうかを明らかにします。神の律法は裁きの基準です(ヤコ2:12)。
「人間の権威の上に建てられたものはみな崩れる。しかし、神の不変の言葉の上に基礎を置いたものは、永遠に立つのである」
(『希望への光』1732ページ)。
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