2024年安息日学校ガイド第4期
 「ヨハネによる福音書」

2024年4期10課 「道、真理、命」

 

【日・模範を示した】

 

「(イエス様は)食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた」ヨハネ1345

 

いわゆる最後の晩餐の席で、イエス様は突如弟子たちの足を洗い始められました。弟子たちはどれほど驚いたことでしょう。イエス様は無言のうちに大切なことを教えようとされていました。それは自分を低くする謙遜な態度です。そのことを言葉ではなく、行動で示されたのでした。今日、私達も洗足式を行っているわけですが、この謙遜の精神を再確認することが重要です。それと共に、私達の汚れた罪を洗い清めて下さる方は、イエス様であることを覚え、感謝しましょう。

 

【月・私は必ず戻って来る】

 

ヨハネ1413

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」

 

イエス様は「心を騒がせるな」と言われました。「騒がせる」と訳された言葉は、混乱させるという意味の言葉です。混乱は神の国の平和とは対極にある状態ですが、この世界はますますその混乱に満ち、心を騒がせることばかりです。世の終わりはバビロン(バベル混乱から派生)のような状態になる、すなわち、人々の心は高ぶり、世界は混乱状態に陥ると預言されているので、これから世界はますます混乱に満ちたものとなっていくことでしょう。そして、バビロンは必ず倒れる時がきます。そうならないためにどうしたら良いのか。イエス様は「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と言われたわけです。これがすべての鍵です。さらにイエス様は、神を信じる者たちの未来について言及されました。それは父なる神のもとに、すなわち天国に、私達のための住まいが用意され、そこに迎え入れるために、イエス様が再び天から戻って来られるということです。この希望に生きるものは、心を騒がせるのではなく、むしろ、その時が近づいている時の印を見て喜ぶのです。

 

【火・「わたしは道であり、真理であり、命である」】

 

ヨハネ146節「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

 

「心を騒がせるな…あなたがたのために場所の用意をしに行くのだ」と言われたイエス様に、トマスは、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」と尋ねました。父のもととは、いったいどこにあるのか。どうしたらそこに行けるのか。弟子たちには知る由もありませんでした。すると、イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である。」と不思議なことを言われたのでした。父のもと、すなわち天国に行くには、イエス様ご自身を通ってしか私達は行くことができないということです。さらにイエス様は、「私は真理であり、命である」と続けられました。つまり、道と真理と命とは、イエス様において結びついており、天国に至る道を知ることは真理を知ることであり、またその道の上を行くものは、永遠の命に至るということです。

トマスに続いてフィリポもイエス様に質問しました。それは「主よ、わたしたちに御父をお示しください」(148)というものでした。すると、イエス様は「わたしを見た者は、父を見たのだ」(149)と答えられました。このように言うことができるほど、イエス様と父なる神様は一つなのです。そして驚くべきは、私達もイエス様と一つとなり、それによって間接的に父なる神様をより深く知ることができると教えられていることです。この状態に入ることこそ、人間に与えられた究極の状態なのです。

 

水・私は真理である

 

「真理」、それはいついかなる時も変わることのないものです。ある教師が「学校では、真理を教えます。しかし、残念ながら教師自身が真理となることはありません」と言っていました。真理を説いたイエス様は、同時に「私が真理である」と言われました。このように言うことができるお方は、イエス様だけです。歴史上のいかなる偉大な人物も、このように言うものはありませんでした。イエス様が語る言葉はすべて真理であり、イエス様がなされた行動すべてが真理であり、イエス様の内面に輝く愛と命は、すべて永遠の変わることのない真理なのです。真理を知るとき、もはやそれ以上先のものはないので、何が正しいのかと争うことは無くなります。イエス様と出会うとは、真理との出会いであり、イエス様と共に生きるとは、真理の中に生きるということです。正しい答えが常にそこにある。これ以上確信に満ちた人生の歩みは他にあるでしょうか。

 

【木・聖書と真理】

 

ヨハネ539

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」

 

聖書がなければ、この世界の始まりも終わりも知ることはできませんでした。聖書がなければ、何が正しく、何が罪であるのかも知ることはできませんでした。そして、何よりも聖書がなければ、果たして私達は、イエス様と出会うことができたでしょうか。聖書は、私達に真理を指し示すものです。なぜなら、それはイエス様について書かれてあるからです。イエス様が十字架でお亡くなりになった後、意気消沈する二人の弟子に復活されたイエス様が現れて、道々、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されました」(ルカ2427節)。同様に、今日も、イエス様は聖霊を送って下さり、聖書がイエス様について書かれてあることを示してくださいます。聖書の中にイエス様を発見する喜び、それこそが聖書通読や聖書研究のだいご味なのです。

 


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