2024年安息日学校ガイド第4期 「ヨハネによる福音書」 |
2024年4期11課 「父、子、聖霊」
【日・天の父なる神】
イエス様は、父なる神様との特別な関係を、繰り返し述べています。たとえば、「わたしと父とは一つである」(ヨハ10:30)、「父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいる」(同10:38)と、父なる神様とご自分は完全に一つであると言われました。そして、「わたしは自分では何もできない…わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」(5:30)と、父なる神様と一つであるイエス様ですが、同等という意味ではなく、父なる神様がより大いなる方であり、その父なる神の御心をいつもイエス様は優先し、行っておられました。それゆえ、「わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである」(14:10)と言われたのでした。父なる神様の御心と完全に一致して生きておられたのがイエス様であり、それゆえ一つなのだと言うことができたのでした。そんな父なる神様と御子イエス様の完全なる一致が、究極的な形で現れたのが、イエス様が人として地上に生まれ、人類の罪を贖うために十字架で死なれたことでした。イエス様はこのことに関して、次のように言われました。
ヨハネ3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
人類を愛するあまり、御子の命を惜しまなかった父なる神と、自らの命を、人類を救うためにお捧げになった御子イエス・キリストの心がまさに究極の形で一つとなった瞬間だったのでした。
【月・イエスと父なる神】
エデンの園においてアダムとエバが罪を犯したとき、目が開け、賢くなったような気がしました。しかし、それもつかの間、自分たちが神様から遠く離れてしまったことを悟りました。なぜなら、園の中を歩かれる主の足音を聞いて、とっさに隠れた自分たちがそこにいたからです。本来であれば、主が来られたならば、うれしくて、すぐにそばに近づいて行ったことでしょう。しかし、今やそれが恐ろしくて、できなくなってしまったのです。やがて「どこにいるのか」と叫ぶ主の声が聞こえてきます。ご自分から離れてしまった人間を探す主なる神の姿がここにあります。これは今もなお続く、人類への神の呼びかけなのです。イエス様は失われた人々を探し、救いだすために、人間となって地上に降ってくることになったわけですが、それは父なる神様のもとを離れることを意味していました。それは単に物理的な意味だけではありません。最終的に人類の罪を一身に背負うことによって、父なる神様から見捨てられてしまったかのように感じるほどの距離が生まれたのでした。常に一つであったお二人が、このように引き離されていったことによって生じた苦しみと悲しみは、私達罪びとの理解を超えたものでしょう。しかし、そこに父なる神と御子の人類に対する大きな愛を感じ取るものでありたいものです。
【火・御子を知ることは、父なる神を知ること】
イエス様は、ご自分の教えはすべて父なる神の教えであり、ご自分の言葉も業もすべて父なる神のものであり、ご自分を信じることは父なる神を信じることと同じであると言われました。さらに、ご自分を見たものは、父なる神を見たのだとまで言われました。これは父なる神と御子イエス・キリストとが完全に一つであり、キリストは人の姿を取った神であることを示すものでした。これを信じることができなかった者たちにとっては、当然、神を冒涜する言葉としてとらえたことでしょう。しかし、これを信じた者たちは、父なる神様がどのようなお方であるのかを、はじめて知ることになったのでした。その驚きはどれほどだったことでしょう。ただ、神は人間ではありませんので、弱い人間の姿で地上に来られたキリストを通して知る父なる神のお姿も、真実の姿のほんの一部に過ぎなかったという言うこともできるかもしれません。それでも、直接神を見ることのできない人間が、キリストを通して、父なる神様を知ることができるようになったのです。
【水・聖霊】
三位一体の神の中で、聖霊は自己主張せず、つねに影に隠れた存在です。しかし、その働きがなければ、私達は神を知ることも、新しく生まれ変わることも、そして神の国に入ることもできなかったことでしょう。イエス様は、「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3章5節)と言われましたが、この言葉がすべてを物語っています。また、「父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである」(同15:26)と言われたように、聖霊の重要な働きの中に、キリストを証するというものがあります。従って、聖霊の働きがなければ、誰もイエス・キリストがわからず、それゆえ父なる神もわからないということになっていたことでしょう。さらに、聖霊は私達に、「罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかに」(同16章8節)にしてくれます。何が正しく、何が間違っているのか。聖霊が教えてくれということです。このような聖霊の働きを見ていくと、私達の日々の生活において、最も身近な神様と言うことができるかもしれません。
「聖霊は、主がご自分の民を高めるために天父に嘆願することがおできになるすべての賜物の中の最高のものであった。み霊は人を生まれ変わらせる働きをするものとして与えられるのであって、これがなければ、キリストの犠牲は何の役にも立たなかったであろう」(各時代の希望73章)
【木・イエスの祈り】
ヨハネ17書は、「父よ、時が来ました」と言って始まる、イエス様の長い祈りの言葉が記されています。その中で、イエス様は次のように父に願っておられます。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなた…を知ることです(17:3)…世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました…彼らは、御言葉を守りました…彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り」(17:6、8)ました。真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です(17:17)。」
私達が永遠の命に入るためには、まず父なる神を知ることです。そのために御子キリストが地上に遣わされたのです。イエス様はその働きの中で、父なる神様を表し、父なる神のみ言葉を語ることで、真理を教えて下さいました。それは、その真理のみ言葉を通して、父なる神様が私達を、永遠の命にふさわしい聖なる者として下さることを願っておられるからです。このようなキリストの祈りの言葉を学ぶとき、何が本当に大切な事かが見えてくるのではないでしょうか。
(C)2010 NAGOYA SDA CHURCH