2025年安息日学校ガイド第2期 「聖書の預言の学び方」 |
2025年2期12課「前 兆」
【今週のテーマ】
今週は、終末時代の諸事件は、神に忠実であり続けようとする者たちにとって困難で、試練に満ちたものとなりますが、それでもこれらの出来事を恐れではなく、希望を持って見るべきことを学びます。
【日・ダニエル 2 章と歴史主義的解釈方法】
キリストが来られる500年以上も前、ダニエル書の2章に、当時のバビロニア帝国から、メディアとペルシア、ギリシア、ローマ、そしてローマの分裂を経て現代ヨーロッパの国々へと至る預言が詳しく記されています。事の始まりは、バビロニア帝国の王ネブカドネザル王がある夢を見たことから始まります。王はその夢の内容を覚えていませんでしたが、胸騒ぎがするのです。そこで様々な知者や専門家が呼ばれ夢の内容を解き明かすように指示するのですが、最終的に、その夢を解き明かしたのはエルサレムから捕囚として連れられてきていたダニエルでした。ダニエルが唯一真の神に王の見た夢を教えて下さるように祈ると、神はその祈りに答え、その夢の内容と意味を示されたのでした。それによると、王の見た夢は、一つの人間の姿をした像でした。頭は金、腕と胸は銀、腰は銅、腿とすねは鉄、足は鉄と粘土が混ざったものでできていました。この夢は、現代から終末までの未来を表していました。つまり、金の頭である現在のバビロニア帝国から始まり、やがて銀の胸と腕の部分はメディアとペルシアの連合国であるメド・ペルシア帝国、銅の腰の部分はギリシア帝国、鉄の腿からすねにかけてはローマ帝国、そして鉄と粘土が交じり合った足はその後のヨーロッパ各国に世界は移り変わっていくことを表していたのでした。これらの預言は驚くほど正確に、ヨーロッパの歴史を言い当てていることがわかります。しかし、この預言には続きがあって、「一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕き・・・跡形もなくな(る)」(ダニエル2:45)と世の終わりを告げているのです。これが王の胸騒ぎの原因でした。しかし同時にそれは、新しい世界が始まることを意味するのだとダニエルは語ります。「この王たちの時代に、天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます」(ダニエル2章44節)。
この新しい永遠の世界とは何か。それはいつ、どのような形で起こるのか。聖書の他の預言がそれを明らかにしています。そして、そこに聖書の最大の希望があることを知るのです。
【月・像を拝む】
ダニエルの夢の解き明かしに感銘し、神に忠誠を示したネブカドネザル王でしたが、その舌の根も乾かぬうちに、金の像を造り、国民に、それを拝むように強要するのです。そして、もし拝まないなら、激しく燃え盛る火の炉に投げ込むというのでした。除幕式において、人々は言われた通り金の像を拝みました。ところが、3人のユダヤ人青年がそれを拒んだのでした。形だけ拝むこともできたかもしれませんが、それは彼らの良心が許さないことでした。「お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか」と言う王に対して、3人の青年ははっきりと、「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(ダニエル3:17、18)と答えたのでした。実は、無理やりバビロンに連れてこられたユダヤ人青年たちの信仰は、まず食事の問題で試されていました(ダニエル1章)。それはせっかくの好意を無下にする行為でしたが、彼らは偶像に捧げられた食事によって、自らを汚すことを拒んだのでした。そして、ここでは命の危険が迫りくる中で、偶像崇拝を拒みました。異国の地において、青年たちの信仰は弱まるどころか、逆に強められていったのでした。そして、そのような彼らの信仰に対して、神は奇跡をもって答え、見事に救いだし、そのことによって王にご自身を示されたのでした。
【火・像を再び拝む】
ネブカドネザル王の金の像を拝ませる行為は、終末時代に獣の像を強制的に拝ませようとするサタンの働きに相通じるものがあります(「第二の獣は・・・獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた」黙13:15)。ダニエルの時代、三人のユダヤ人青年が直面したような事が、終わりの時、世界中の真のクリスチャンたちも直面することになるでしょう。それに対して、第一天使は、「天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」(黙示録14:7)と叫んでいます。真のクリスチャンは単に獣の像を拝まないだけでなく、逆に、真の神を拝むという選択をするのです。そこに勝利の秘訣があるのです。しかし、神以外のものを拝み続けるなら、「・・・人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現され」(ローマ1:18)ることになります。黙示録14章9、10節に、「また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこう言った。「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる」と記されている通りです。獣の像を拝まないと、肉体的に殺されるかもしれません。しかし、私たちが恐れるべきは、神の裁きなのです。
【水・初代教会の迫害】
終末の諸事件の前兆は、旧約聖書だけでなく新約聖書でも見ることができます。1世紀のクリスチャンにとって、生きることは容易でありませんでした。彼らはまず、多くの同胞から嫌われ、さらに異教のローマ帝国の怒りにも直面しました。
使徒言行録12章 1~3節 「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。」
ヤコブが殺された後、ペトロも投獄されました。この時は、教会で熱心な祈りがささげられ、奇跡的に獄を出ることができましたが、のちにやはり殉教の死を遂げます。終わりの時が近づくにつれて、同じことが起こるでしょう。しかし、そのような中にあって、常に主の臨在と導きがあり、それを乗り越える力が与えられることでしょう。ペトロの死に関して主は、前もってどのような最後を迎えることになるかを示し、それでも「私に従いなさい」と語っておられました。大切なことは、たとえ信仰の迫害があったとしても、最後まで主に従うことです。
【木・獣の刻印】
終わりのとき、争点の一つとなるのは、天地創造のしるしである第七日安息日を守るのか、それとも日曜礼拝を守るのかということです。そして、やがて日曜休業令が発布され、第七日安息日を守るものは命の危険が及ぶことが教えられてきました。ただ、なかなかそのような状況にならないことから、この教えに疑問を投げかける人もいるようです。しかし、黙示録が語っていることは明確なのです。最終的に創造主を礼拝する真のクリスチャンと、獣とその像を拝む偽クリスチャンに分かれていき、獣の像を拝まない者は殺されるということがはっきりと預言されているのです。天地創造のしるしとして第七日安息日が制定されたわけですから、創造主を拝むことと第七日安息日を遵守することはセットであり、方や、ほとんどの教会で、獣のしるしである日曜礼拝が当たり前のようにささげられている現実は、偶然ではないのです。ところで、マタイ12章で、キリストは手の萎えた男を安息日にいやされたことから、「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」(同12:14)ことが記録されています。第七日安息日のせいで死の危険が迫って来たのです。このようなことが再び起こるのです。ここでの具体的な問題は、終末の諸事件における問題と同じでありませんが、安息日をめぐる人間の法律対神の律法の戦いという構図は同じなのです。
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