2025年安息日学校ガイド第2期 「聖書の預言の学び方」 |
2025年2期4課 「民族(その 1)」
【今週のテーマ】
神にのみ従い、神の栄光を世に証するために選ばれたイスラエル民族が、他国と同じように王を求めたときから、堕落と苦難が始まりました。今週は、教会もこの世の権力と迎合するならば、同じように、教会の使命を忘れ、神の御心からそれてしまう危険があることを学びます。
【日・ニムロドとニネベ】
罪を犯した結果、アダムとエバはエデンを追い出されました。エデンの園の東の門には、炎の剣が置かれ、天使ケルビムがそこに立ち、中に入ることを許しませんでした。それでもアダムは少しでも神のそば近くでと、そこに祭壇を築いて神を礼拝し、神の律法に従う誓いを新たにしたのでした。ノアの大洪水が世界を襲い、神がエデンの園を取り去るまでの約1000年弱もの間、この美しい園は人々の生活のすぐそばにあったわけですが、それを人々はどのような思いで見ていたのでしょうか。アダムは一日も早い救いと万物の回復を主に願いましたが、しかし、多くの人々は、自分たちでエデンの園よりも、もっと素晴らしい世界を実現しようと試み、やがて都市国家が生まれていきます。創世記10章に、地上における最初の勇士として、ニムロドという人物が登場します。この名には、「神に反逆する者」という意味があり、ニムロドはバベル、ウルク、アッカドといったシンアルの地からニネベ、レホボト・イル、カラがあるアッシリア地方にまで、次々に古代都市を建設していきます。そして、彼の名のごとく、それらは神に逆らう町々となっていきました。アッシリアについて預言する際に、同地を「ニムロドの地」(ミカ書5章)いうように言及されているのも、このためです。また、伝説ではバベルの塔建設を命じたのもニムロドだと言われています。
【月・アブラハムの召し】
それぞれの言語、氏族、民族に従って住むようになり、次々に国が形成されていく中で、神はアブラハムを選び、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(創世記12:1)と命じます。これは神がアブラハムを用いて、人間の王国とは対照的な国の樹立をご計画されておられたからでした。それは、神を主として人間の王を持たない、つまり、人間ではなく神に聞き従う霊的王国であり、人類が創造主のもとに立ち帰えるとき、どれほど素晴らしい祝福が起こるかを示すことが、神のご計画でした。神はイスラエルに次にように言われました。
「見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう」申命記4:5、6
人類がどんどん神の御心から離れていく中で、一個人ではなく、イスラエルという国家を通して、民全体が証を立て、他のすべての国民も同様に、神の掟を守り、神と共に生きていくことがどれほど祝福に満ちたことなのかを、神は教えようとされたのでした。そのために求められたことは、その掟を忠実に守ること、そして子や孫たちにも神の掟を語り伝えることでした。そのときはじめて、イスラエルは神様の栄光を表し、祝福の基となるのでした。
【火・あなたの求めたものが与えられる】
イスラエルは王を持たず、真の王である神にのみ従う国となることが神のご計画でした。ところが、預言者サムエルが年老いると、民たちは王を求めるようになります。その背景には、サムエルの息子たちが裁きを行うようになると、息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げるようになり、そのような不満があったからです。そして、王のいる他国がより繁栄しているように見えたのかもしれません。そこで長老たちがサムエルのもとにやってきて、「ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください」(サムエル上8:5)と願うのです。しかし、これは明らかに主の御心に反する悪とサムエルにはうつりました。ところが、主はサムエルに、「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい」と言われるのです。そして、こう続けられたのでした。「彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ」(サムエル上8:7)。王を求めることは、自分たちの上に神が立たれるのを拒否することを意味していました。神は常に愛と憐みのうちに、民にとって最善をなして下さる方です。しかし、人間の王はそうではありません。やがて、自分たちが望んだ人間の王により、苦しむことになることを神は知っておられました。イスラエルは、自分たちの求めたものが与えられますが、それが過ちであったことに気づいたとしても、「主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」(サム上8:18)と告げられるのでした。
【水・異邦人の支配者たち】
イスラエルは人間の王を求めました。つまり、神様が士師を通して直接導くのではなく、他国と同様に、人間(王)が民を裁き、国を導くことを選んだのでした。良い王もいましたが、多くの場合、神様の御心ではない方向へと国を導き、その結果、霊的廃退、道徳的崩壊を招き、神は軌道修正のためにバビロニア人が神の民を捕虜にすることを許さざるをえなくなるのでした。キリスト教会の歴史の中でも、似たようなことが起きました。コンスタンティヌスが皇帝の座に着き、クリスチャンになると告白したとき、信者たちは、「迫害がようやく終わった!」と安堵しました。それ自体は祝福でしたが、その後、教会は皇帝の権力を自分たちに有利に利用できるかもしれないと思いついたのです。4世紀にはいり、教会では解決できない問題が発生すると、異邦人の支配者である皇帝が介入することを許したのです。ひとたび国家が教会に介入すると、どうなったでしょうか。神の御心が優先されるのではなく、時の権力者の考えで物事がはかられ、教会は間違った道に進んでいくのでした。昔のイスラエルと同様、キリスト教史における最も暗い時代の多くは、教会がこの世と妥協したことの直接的な結果でありました。多くの忠実な信者が教会や国家体制に対する脅威と見なされ、殉教していきました。キリストは、「いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(マタイ20:27、28)と教えられましたが、この精神がほとんど尊ばれないのが、世の中なのです。
【木・異邦人への光】
神がイスラエルという国を樹立された第一の目的は、世界のほかの国々を非難することではなく、救うことでした。もし、イスラエルの人々が神の教えのとおりに振る舞っていたなら、他の国々は平和のうちに彼らのもとにやって来て、彼らと彼らの神についてもっと知ろうとしたことでしょう。しかし、残念なことに、バビロン捕囚が示すように、これらの国々は、代わりに戦争を仕掛けてきたのでした。このことを裏返せば、イスラエルが神の愛とご品性を反映する役割を果たしきれなかったということです。しかし、神のご品性を完全な形で示される日がやってきます。それは神の御子イエス・キリストが人として地上に来られた時でした。キリストの完璧な模範は、罪の自覚をもたらし、多くの人々を神のもとへと導きました。神が教会を設立されたのも、イスラエルの民が立てられたのと同じ理由です。神は、教会を異邦人への光とてし、罪人をキリストに引き寄せたいと望んでおられます。私たちは神の民として、神の赦しを祈り求め(民数記14:18~21)、神の国へと導く光となり、(イザヤ42:6、49:6)、そして、この罪に穢れた富と欲望の世界から離れさるように(黙示録18:1~4)、力強く主のメッセージを証するものでありたいと願いします。
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