2025年安息日学校ガイド第2期
 「聖書の預言の学び方」

2025年2期5課 「民族(その2)

 

【今週のテーマ】

今週も先週に引き続き、神の統治よりも人間の統治を願う欲望によって引き起こされた問題と、終わりの預言について見ていきます。また地と海の象徴的意味も取り上げます。

 

【日・最初の戒め】

 

エデンの園は、人間にとって、創造主について学ぶ学校であり、尽きぬ教えと喜びの泉でした。そのエデンの園の中央に、善悪を知る知識の木がありましたが、主なる神は、その木の実だけは食べてはならないと命じられました。これが人間に与えられた最初の戒めでした。たった一つのこの戒めさえ守れば、人間はいつまでも幸せに生きることができたのでした。しかし、悪魔は、この戒めを破るように人間を誘惑しました。そして人間はいとも簡単に、神の戒めを破ってしまったのでした。果たしてどのように誘惑したのでしょうか。悪魔の誘惑は、なぜ神は、「善悪を知る知識の木の実」を、人間に死をもたらすものとされたのかということとも関係してきます。悪魔の誘惑はこうでした。「この善悪を知る知識の木の実を食べると、目が開かれて神のようになれますよ」。人間は、単に食べてはならない食べ物を、つい食欲に負けて食べてしまったということではないのです。善悪を知り、神のようになりたいという誘惑に負けたのです。この誘惑はまさに悪魔の心と同じであり、この高慢な欲望が動機となって「善悪を知る知識の木の実」を食べてしまったのです。実を食べた後、はじめは目が開かれて、一時的に高次元に入ったかのような気持ちになりましたが、しばらくすると、神の戒めを破ってしまったことへの罪悪感が襲ってきました。そして、善に対して目が開かれてもそれを行うことができず、また悪に対して目を開かれてもそれを抑制することができない己の弱さに直面するようになります。もし、このような状態で永遠に死なない罪人として生きるなら、これは決して幸福なことではありませんでした。善悪の知識に目が開かれるということは、一見良いことのように思えるかもしれませんが、それは神の領域であり、またその知識の中には、知る必要のない物も含まれており、人間の罪を助長させる結果となりました。この行きつく先が死であるのも当然の帰結だったのです。

 

【月・ダニエル 2 章】

 

ダニエル2章に描かれたバビロンの王ネブカドネザルの見た像の夢は、バビロンの金の頭から始まってペルシャの銀の体、ギリシャの銅の腰、ローマの鉄のすねや腿、そして現代ヨーロッパの粘土と鉄が混ざった足。金属の価値が時代が進むにつれて下がっていくことに気づかされます。神の戒めを破って善悪を知る知識を得た人間は、確かに物質的なレベルでは生活を改善してきました。しかも時代が進むにつれて加速度的に発展してきました。しかし、それに反して、道徳的な部分においてはどうでしょう。成長どころか、むしろ後退しているのではないでしょうか。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士の言葉を借りれば、「私たちは、ミサイルを誘導してきたが、人間は正しく誘導してこなかった」のです。これは非常に恐ろしい組み合わせです。この果てに何が待っているのか、神は預言を通して警告しておられます。それは人間の罪が限界を迎え、崩壊する日が来るということです。ゆえに神は、新しい世界を用意され、そこに入るために準備をせよと言われているのです。

 

【火・ダニエル 7 章】

 

ダニエル7章に、ダニエルが見た夢の話が出てきます。ダニエルは言います。「見よ、天の四方から風が起こって、大海を波立たせた。すると、その海から四頭の大きな獣が現れた」(ダニエル734)。風、大波などは、国家間の混乱を表現しています。四頭の大きな獣は、ネブカドネザル王が見た夢の像に表された国々と同じ、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマなどの帝国を表していますが、その四頭の大きな獣が突如現れたかと思うと、陸地に上がってくるのです。ダニエルは異邦人の武力衝突を岸部から見ていましたが、ダニエルたちの領土である陸地に上がってきたということです。このことが意味することは、異邦人の問題や争いが今やダニエルたちの問題にもなってくるということです。なぜ、そうなるのか。それは神の民が、王を立て、異邦人のように生きることを選んだからです。その結果、今や異邦人と同じ問題や争いに巻き込まれ、生きざるをえなくなったのでした。バビロンの支配を皮切りに、神の民は、完全で長期にわたる自治を二度と享受することはありませんでした。神の民の自治の喪失は、キリストが最終的に私たちの王として正当な地位を回復される終末まで続くでしょう。しかし、キリストは「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ115)、「神の国はあなたがたの間にある」(ルカ1:21)と、失われた神の国の回復が宣言されました。これはこの世の国とは違う霊的王国であり、信じる者たちの間に築かれてゆき、やがて天のみ国において完成されます。

 

水・陸地と海の間

 

預言書には、地と海(水)が対照的に並置されることがあります。その場合、『地』は神が支配される秩序ある世界を、『海(水)』は、人間の傲慢の上に築かれた国々の不安定な混乱を、しばしば象徴しています。そのことを前提に、黙示録121516、「蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した」という預言を考えてみましょう。蛇や竜は悪魔、女は教会を象徴していますが、悪魔は教会を迫害するために「水」を用いているのがわかります。つまり、世俗の政府による弾圧とそれに伴う混乱、あるいは間違った教えを用いて、教会を迫害したり、真の信仰を失わせようとするという預言です。しかし、大地が教会を助けます。この場合の大地とは、歴史的に新大陸アメリカととります。アメリカは、初期の建国者たちが思い描いたような「新しいイスラエル」ではありませんが、長い間、宗教的に抑圧されている世界の何百万の人々にとって、宗教的自由の地になったのでした。

 

【木・再び預言しなさい】

 

黙示録1217「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った」

ここに竜(悪魔)が女(教会)に対して、特に残りの者(教会)に対して、激しく怒り、戦いを挑んでくる姿が描かれています。終末時代の残りの教会の特徴は、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちであり、また、黙示録1216の流れから、新大陸アメリカから起こされると推測できます。黙示録10章に、終わりの時に主に用いられる残りの教会の活動が記されています。その中で、主は彼らに、「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない」(同11節)との使命が告げられます。しかし、いったい何を再び預言せよと言うのでしょうか。主の手には、「小さな巻物」(同2節)が握られていました。これは長い間、「封じておくように」(ダニエル124)と命じられていたダニエル書のことだろうと考えられます。広い意味では、世の終わりの預言と解釈してもよいでしょう。つまり、残りの教会は、終わりの時が迫っているということを、預言書を紐解き、語らなければならないと言うことです。主は、「、右足で海を、左足で地を踏まえて」(同2節)いますが、これは陸に住む神の秩序の中にいる人々にも、海に住む神を知らず混乱の中にいる人々にも、つまり全世界に向けて、すべての国民に語らなければならないことを表しています。ところで、この幻を見せられたヨハネは、「その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べて」しまうのです。すると、「それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった」(同10節)と続きます。これは再臨運動の大失望の経験に当てはめてきましたが、同時に、神様の言葉は蜜のように甘いけれども、しかし、災いの宣告、警告、さばきが含まれている。それは苦い。そういった意味もあるのではないでしょうか。

 

 


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