2025年安息日学校ガイド第2期 「聖書の預言の学び方」 |
2025年3期1課「抑圧──その背景とモーセの誕生」
【今週のテーマ】
今週はモーセの誕生から王室を追われるまでを学びます。
【日・エジプトの神の民】
出エジプト記は、神の祝福を思い起こさせることから始まります。族長ヤコブとその家族がエジプトに定住したとき、彼らはわずか70人でした。しかし、「イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた」(出1:7)のです。これはまさに神の祝福でした。エジプトを出る頃までには、「壮年男子だけでおよそ六十万人」(同12:37)を数えました。大いなる国民とするとの神の預言は、エジプトという大国の中で守られながら実現していくことが神のご計画でした。そして、やがてエジプトを脱出し、約束の地カナンに入ることになります。これは、罪の奴隷から天のみ国へ帰る私達の救いの霊的モデルとなっているのです。「イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は、四百三十年」(12章40節)でしたが、ヨセフが仕えた王朝が倒れ、ヨセフを知らない王が立つと、イスラエルがあまりに増え続けることに危機感を覚えた王は、彼らを迫害し始めるのです。そしていつしか、イスラエルは奴隷の身分となっていくのでした。「しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったのでした」(同1:12)。これは、絶望的な状況であったとしても、主権は常に神にあるということを教えています。
【月・歴史的背景】
ヨセフは父ヤコブから溺愛され、そのことに反感をもった兄弟たちによって、エジプトに売られてしまいます。どれほど不安と恐怖、そして兄弟によって売られた悲しみに襲われたことでしょう。しかし、ここにも神の摂理があったのでした。父に甘やかされて育ったヨセフは、うぬぼれの強い人間になる可能性がありました。しかし、エジプトに売られていく中で、頼れるものは神だけであることを知る必要があったのです。人類のあけぼの上P235に興味深いことが記されています。
「彼はどのような環境のもとにあっても、天の王の臣民らしく行動し、神に忠誠を尽くそうと決心して大きな感動をおぼえた。彼は、専心、主に仕えようと思った。彼は勇敢に試練に当面し、忠実に義務を果たそうとした。この一日の経験が、ヨセフの生涯の分岐点になった。その恐ろしい不幸が、あまやかされた少年から、思慮深く、勇敢で沈着なおとなに彼を変えたのである」
ヨセフが捕らえられた時のエジプトは、セム語系を中心とする西アジア系の遊牧民集団のヒクソスがエジプトを支配している時代でした。出エジプト記1:8の「ヨセフのことを知らない」新しい統治者とは、イアフメスI世(在位:紀元前 1570~1546年)。次に登場したのがアメンホテプI世(紀元前1533~1526年)で、彼がイスラエルの人々を恐れて、抑圧した統治者でした。その後、トトメスI世(紀元前1525~1512年)が、ヘブライ人の男児を全員殺害せよという命令を出しました。出エジプトの際のファラオは、トトメスIII世(紀元前1504~1450年)で、出エジプトは、紀元前1450年3月に起こりました。正確な年数については議論が分かれていますが、重要なのは、たとえ神の民が異国の地で奴隷にされても、主は彼らを忘れておられなかったという点です。
【火・ヘブライ人の助産婦たち】
過酷な労働を強いても、イスラエルの子孫たちは増え続けたため、エジプトの王はヘブライ人の2人の助産婦に、「性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ」(出エジ1:16)と命じます。聖書の中に、「ヘブライ人」という言葉が出てくるのが、ここが最初です。「ヘブライ」とは、イスラエル人についたあだ名で、「川向うから来た人」という意味があり、そこから「外国人」を意味するようになりました。彼らが400年もエジプトに住みながら、そのように呼ばれたのは、エジプトの習慣や宗教に同化しなかったからです。この王の命令に2人の助産婦が逆らいます。それは彼女たちは、王よりも「神を畏れていた」からです(同1:17)。ファラオは自分の策略が失敗したとわかると、ヘブライ人から生まれた男児をすべて殺せとエジプト人に命じます。ホロコーストと同じ、ユダヤ人大虐殺が起こるのです。
【水・モーセの誕生】
王の命令で、生まれた男の子はすべてナイル川に放り込まれて殺される、そのような状況の中でモーセは生まれました。モーセが生まれたとき、「その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた」(出エジ2:1)と記録されています。この「かわいい」という言葉は、天地創造において、神がすべてのものを「極めて良かった」と言われた言葉と同じで、外見の美しさ以上のことを表しています。その後、これ以上隠しきれなくなり、籠の中にモーセを入れて、ナイル川に流し、後は神のみ手にゆだねるのです。そして、ここから神様の驚くべき奇跡が始まりまるのです。私たちも、どこまでが自分たちのするべきことで、どこからが神様の領域になるのかを見極め、神様の領域には足を踏み入れず、静まってただ委ねることが大切です。何が起きたでしょうか。こともあろうに、ファラオの娘に見つけるのです。ある意味、最も危険な人の一人です。ところが、彼女は、赤ちゃんを見てへブライ人の赤ちゃんであることがすぐにわかりましたが、彼女は、赤ちゃんをふびん(あわれ)に思い、守り育てることを決心するのです。ファラオの娘の心を動かしたのは、間違いなく神様です。人知を超えたことが、こうして起こるのです。
【木・計画の変更】
モーゼはファラオの宮殿で、奴隷の身分のままだったら受けられないような素晴らしい教育を受けます。使徒7章22節に、「モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました」とあります。しかし、モーセが40歳になったとき、事件が起きるのです。「一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見」て、モーセはなんと、「そのエジプト人を打ち殺して」(出エジ2:11,12)しまうのです。このような同胞を愛する純粋な思いと行動力は、やがて同胞をエジプトから脱出させるために必要な資質でした。しかし、後先考えず早急に行動する点や、自分の力に頼る点など、まだ神の器になっていませんでした。真の神の器とは、神の御心を、神の方法で行う人なのです。モーセは、同胞のために自分が立ち上がれば、同胞たちも立ち上がると期待しましたが、そうはなりませんでした。モーセだけでなく、同胞たちも、解放の準備ができていなかったのです。モーセがエジプト人を殺したことがファラオに伝わると、命を狙われるはめとなり、その結果、モーセはエジプトを脱出しなければならなくなったのでした。神様のためにしたことが、かえって悪い結果を生んでしまうことがあります。神様なぜですかと問いたくもなるでしょう。神様は人生かけて、いろいろなことを学ばせます。苦しくても、忍耐して、神の時を待たなければなりません。モーセは40年間のきらびやかな王室での生活を終え、40年の貧しい羊飼いとしての生活が待っていたのです。
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