| 2025年安息日学校ガイド第4期 「聖書の預言の学び方」 |
2025年4期1課「成功の秘訣」
【今週のテーマ】
今週は、モーセからバトンを受けた新しい指導者ヨシュアが主から語られたメッセージと、成功の秘訣を学びます。
【日・新しいモーセ】
モーセは亡くなる前に、「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない」(申命記18章15節)と命じました。モーセの死後、主は、ヌンの子ヨシュアに、「私の僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい」(ヨシュア記1章2節)と言われ、モーセに代わる新しい指導者として立てられました。そして、「モーセに告げたとおり、私はあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える」(同3節)と、主は約束されました。ヨシュアとはどのような人物だったのでしょうか。ヨシュアはエフライム族の出身で、本名はホシェアですが、モーセによってヨシュア(民数記13:16)と呼ばれるようになります。ヨシュアは「神は救い」という意味のヘブライ語で、ギリシャ語では「イエス」になります。ヨシュアにまつわるこれまでのエピソードとしては、モーセに命じられてアマレク人との戦闘を指揮し勝利したことや(出エジプト記17章参照。その間、モーセは両手をあげ祈り続け、アロンとフルが両手を支えた)、モーセがシナイ山で十戒の石板を授かった時に同行したこと、またカナン偵察の際に、偵察隊12人中10人までが攻め取るのは無理だと否定的だったのに対し、カレブと共に、主なる神の力により、攻め入ることができると主張したことなどがあります。モーセもヨシュアを高く信頼していたことがわかります。
【月・渡れ! 取れ! 分けよ! 仕えよ!】
ヨシュア記1章は、このヨシュア記全体の導入部となっており、①川を渡ること(ヨシュ 1:2~9)、②土地を征服すること(同1:10、11)、③土地を配分すること(同1:12~15)、④律法を守って仕えること(同1:16~ 18)の四つの部分から構成されています。そして、この4つの内容が、この後、ヨシュア記全体を通して展開されていきます。それを短く表すと、「渡れ! 取れ! 分けよ! 仕えよ!」ということになります。民たちが、この一つ一つの神の命令に対して、忠実に応答するとき、はじめてカナンの地を勝ち取ることができるわけです。このことからわかることは、神の約束された祝福は、何もしなくても自動的に与えられるものではないということです。とはいえ、自分の力に頼って勝ち取れるものでもありません。私達は自分の力を捨て、すべてを主にゆだね、主の力に頼って一歩踏み出すとき、はじめて、主なる神が私達のために働いてくださり、約束された祝福を受けることができるということです。このことを、私達は日々、経験的に知る必要があります。
【火・約束の相続人】
ヨシュア記1章1~3節にかけて、主はヨシュアに、「ヨルダン川を渡りなさい。その先には、私がこの民、イスラエルの人々に与える地がある。私はモーセに告げたとおり、あなたがたの足の裏が踏む所をことごとくあなたがたに与える」と言われました。ここで「(カナンの地を)与える」という言葉が2度繰り返されていますが、原語のヘブライ語を見ると、異なる動詞が使われています。最初のほうは、与える過程をあらわす動詞が使われていて、イスラエルがすでに占領していたのは、ヨルダン川東岸の領土だけで、約束の地の大部分はまだ占領できていなかったので、その占領できていない部分が与えられていくことを意味しています。二つ目のほうは、動詞の完了形が使われており、土地はすでに彼らに与えられたという印象を与えます。それは神が約束されたことは、必ず実現するからです。また、主は約束の地を継がせるとも言われました。(ヨシュア1章6節)このように表現されたのは、私達に対するメッセージでもあります。それは私達も、「神は約束されたもの」、すなわち天の御国を「受け継ぐ」というのが神のご計画だからです。そして、ヨシュアと同様に、神の計画は変わることはなく、希望を持ち続けるよう励まされています。(ヘブライ6章17、18節)
【水・強くあれ!】
主は6節、7節にかけ、ヨシュアに「強く、雄々しくあれ」と繰り返しています。ヨシュアに課された任務は、圧倒的な困難を伴うように思われました。カナンの都市の城壁は、難攻不落のように見え、その地の住民は、戦闘訓練を受けていたのに対し、イスラエルの人々は40年もの間、荒野を旅する民であり、武器もなく、訓練も受けていない普通の人々だったからです。しかし、「強く雄々しくあれ」という命令は、戦闘のためだけではありませんでした。求められた勇気と強さは、神の教えに対して忠実であり続けるために必要であり、そして、真の敵である悪魔に対して、「強く、雄々しくある」必要があったのです。エフェソ6章10~12節にかけて、「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」と教えられています。まさにヨシュアがモーセから引き継き、直面した戦いは、背後にいる悪魔に対するものであり、同様に私達も、常に、この霊的戦いの中に生きている現実を忘れてはなりません。
【木・繁栄と成功】
「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」ヨシュア記1章7、8節
ヨシュアが常に強く、雄々しくあるために教えられた方法、それは「律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれ(ない)」ということでした。そして、そのために、み言葉を「昼も夜も口ずさむ」ようにと主は言われました。み言葉を「昼も夜も口ずさむ」ために、毎日、聖書を読むことが大前提となります。そして暗唱聖句をしたり、祈りのカードを持ち歩いたりなど、工夫と努力も必要でしょう。しかし、それを繰り返すとき、「行く先々で栄え、成功する」と約束されているのです。詩篇の記者はこう言いました。
「いかに幸いなことか。神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」詩編1編1~3節
このことを覚え実践し、力強く歩んでまいりましょう。
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