2025年安息日学校ガイド第4期
 「聖書の預言の学び方」

2025年4期11課「土地に住み着く」

【今週のテーマ】

 

今週は、ヨルダン川の東に嗣業の地を与えられたルベン人、ガド人、マナセの半部族が、自分たちの祭壇を築いたことによって生じた問題を、どのように解決したかを学びます。

 

【日・献身】

 

カナンの地の征服が終わり、先にヨルダン川の東側に嗣業の地を与えられていたルベン人、ガド人、マナセの半部族の人々が、自分たちが与えられたその土地に戻る時が来ました。ヨシュアは、彼らを呼び寄せて、「あなたたちは、主の僕モーセ、そしてわたしが命じたすべてのことに聞き従い、同胞を見捨てず、主の命じられた言いつけを守ってきた。今や、主がお与えになったヨルダン川の東側にある自分の所有地の天幕に帰るがよい」(ヨシュア22:1~4参照)と言います。他の部族と共にヨルダン川を渡り、およそ6年から7年にわたってこれまで戦ってきました。それは実に大きな犠牲であり、献身でした。しかし、今やその目的も達成され、自分たちの土地に戻る時が来たのでした。イスラエルの12部族は、これまで一致して戦ってきました。その一致の土台となったのは、嗣業の土地を得るという神様から与えられた共通の使命感でありました。このことは、神様から与えられた同じ使命をもって生きるとき、私達は一致することができるということを教えています。先日開かれた西日本教区年次理事会において、世界総会のモットーに合わせて、向こう5年間のモットーを、「み言葉に根差し、一つとなって、宣教に集中する」としました。このモットーは、イスラエルの民が、カナンの地を得るという使命によって一致したように、み言葉にしっかり根差し、宣教という使命に集中するとき、私達は一致することができるということでもあります。

 

【月・非難...

 

ヨルダン川の東に住むことになったルベンとガド、そしてマナセの半部族は、イスラエルの他の部族と別れ、彼らに与えられたギレアドの土地に帰って行きます。そして、ヨルダン川を渡り、ゲリロトに着いたとき、イスラエル側に一つの祭壇を作るのです。それは、彼らの信仰の現れだったのかもしれませんが、その祭壇は目立って大きく、すぐに大きな問題を引き起こしました。ヨルダン川の西の諸部族からしてみれば、ヨルダン川の東の人々が、主に逆らい、自分勝手に祭壇を作った。もしかしたら偶像礼拝をしようとしているのではないか。そのような疑念が生じたとしても不思議ではありません。そもそも、イスラエルの祭壇は、つまり神様を礼拝する場所は、シロと部族全体で決定していました。そして、申命記 12 5節で、「必ず、あなたたちの神、主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい」と、命じられていたのです。ですからシロ以外の場所に祭壇を築くことは、この主の命令を破る行為でした。ルベンとガド、およびマナセの半部族の人々にしてみれば、ヨルダン川によって自分たちがイスラエルから分断されているような気持ちになって、自分たちの側にも祭壇がほしいと考えたのかもしれませんが、何の相談もなく、突然、このような行為に及んだことはやはり問題であり、非難されてもしかたがないことでした。

 

【火・過去に悩まされる】

 

ゲリロトに祭壇を築いたとの知らせを聞いたあと、イスラエルの人々は共同体全体の集まりを開き、ヨルダン川東に軍を差し向けることを決定します。これは本当にただならぬことです。しかし、これには理由があったのです。それはかつてイスラエルが荒れ野に居た時、モアブの娘たちを愛してペオルでバアル礼拝に走り、主の裁きを受け、実に偶像礼拝に陥った者たち24千人が死に至るという恐ろしい経験をしました。また、カナン占領の過程においても、アカンが占領地のものは滅ぼし尽くさなければならないことを言われていたのに、その一部でもかすめ取ったために神様の裁きを受けました。主に逆らうということが、いかに恐ろしい結果を招くかを民たちは知っていたのです。しかし、すぐに軍隊を派遣することはしないで、まずは事情を聞くために、代表団を派遣します。代表団の構成は、イスラエルの部隊の家系の長と大祭司エルアザルの息子ピネハスでしたが、ピネハスは先のペオルでの問題を扱った祭司として知られていました。代表団は率直に、なぜ主に逆らうのか。ペオルでの背信やアカンの罪の結果を忘れたのかと問い詰めます。

 

【水・柔らかな応答】

 

この代表団からの申し立てに対して、ルベン、ガド、およびマナセの半部族は、真摯に答えます。まず彼らが述べたことは、「神よ、主なる神よ。神よ、主なる神よ。神はご存じです。イスラエルも分かってください。もし、これが主に対する裏切りであり、背信であったなら、今日、わたしたちを生かしておかないでください」(2222)ということでした。彼らの主に対する信仰、主に対する思いをまず述べています。神様を信じない人たちからすれば、それが何だということになってしまうかもしれませんが、神様を信じる者たちにとっては、それは何よりも重要なことだからです。その後、なぜ祭壇を築いたのか、その理由を述べるのですが、それは偶像礼拝とか、背教とかではなく、むしろ逆に、後の時代、ヨルダン川の西に住む人々が、自分たちの子孫に向かって、『あなたたちはイスラエルの神、主と何の関係もない』と言うことのないように、同じイスラエルの民であることを示す証拠とするために祭壇を作ったというのでした。この弁明を聞いて、祭司ピネハスは彼らの行為は決して主に対する背信行為ではなかったと認めたのでした。ただし、ヨルダン川東の人々がとった礼拝は、一歩間違うと、神様への純粋な礼拝、神様に受け入れてもらうための礼拝ではなく、西側の人々に受け入れてもらうための礼拝となってしまう危険を含んでいます。私達も、人の目を気にしたり、人に評価してもらうために礼拝を捧げることのないように注意したいものです。

 

【木・紛争の解決】

 

ヨルダン川の東に祭壇を作った事情を理解した代表団は、これを受け入れました。この一連の出来事は、事情がよくわからなかったことがもととなっています。共同体の中では、コミュニケーションがいかに重要であるかを教えています。はじめからしっかりとコミュニケーションをとり、事情を説明していれば、無用な混乱を避けることができたことでしょう。あるいは、もっと善い知恵を得ることができたかもしれません。教会生活においても、コミュニケーション不足から、しばしば問題が起こります。これは注意したいものです。また、共同体の中に、何か問題が生じてしまった場合は、やはり同様に、うわさで判断するのではなく、まず事情を聞き、話し合うことが大切です。その際、努めて冷静で、柔らかな言葉使いを心掛けたいものです。感情が高ぶり、大声を張り上げるなら、人は萎縮してしまい、会話を続けるのが困難になったり、正しい判断を下せなくなったりしてしまうことでしょう。常に、クリスチャンとしての愛と品位を常に保ち、塩で味付けされた優しい言葉を使いたいものです。


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