2025年安息日学校ガイド第4期
 「聖書の預言の学び方」

2025年4期12課「神は誠実であられる!

【今週のテーマ】

 

今週は、晩年のヨシュアが民たちに語ったメッセージの中から大切な教訓を学びます。

 

【日・すべて実現した】

 

「主が先祖に誓われた土地をことごとくイスラエルに与えられたので、彼らはそこを手に入れ、そこに住んだ。主はまた、先祖に誓われたとおり、彼らの周囲を安らかに住めるようにされたので、彼らに立ちはだかる敵は一人もなくなった。主は敵を一人残らず彼らの手に渡された。主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。」(ヨシュア記2143~45節)

イスラエルの民がカナンの地を得ることができたことに関して、聖書は以下の三つの点を強調しています。

誓われたことが実現した。② すべて、ことごとく実現した。③ 安らかに住めるようにしてくださった。

イスラエルがカナンの地を得ることができたのは、イスラエルの民の力が勝っていたからではなく、主が与えると初めから約束してくださっていたからでした。またその約束の実現も、一部部分ではなく、ことごとく、すべて実現しました。さらに、主は周りの環境までも配慮してくださり、安らかに住むことができるように、周りに敵が一人もいないようにしてくださいました。天のカナンを目指している私達の救いに関しても同様です。すべては神様の約束であり、それはことごとく実現します。そのことについて、エフェ 2:89は、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです」と言っています。そして天の御国には、もはや敵は存在せず、真の安らぎが待っているのです。

 

【月・心配のあらわれ】

 

ヨシュアが多くの日を重ね老人となったとき、全イスラエルを呼び寄せて忘れてはならない大切なメッセージを語ります。その言葉の中には、民たちに対するヨシュアの心配が見え隠れしています。まずヨシュアが強調したことは、カナンの土地の征服がいかにして可能であったのかということでした。それはすべて、「あなたたちの神、主は御自らあなたたちのために戦ってくださった」(ヨシュア233)からでした。このことは決して忘れてはならないことでした。彼らにはまだ未征服の国々がありましたが、それらも同様、主が約束されたとおり、「自ら彼らをあなたたちのために押しのけ、あなたたちのために追い出される」(235)と、ヨシュアは民を励ましました。しかし、ヨシュアは「だから」と言って言葉を続けました。ヨシュアは、民たちに、「右にも左にもそれることなく、モーセの教えの書に書かれていることをことごとく忠実に守りなさい」(236)と命じました。これからも主の勝利を得ていくためには、右にも左にもそれることなく、主の教えをことごとく忠実に守ることが重要な条件だったのです。このことは、私達の霊的生活の勝利においても同様です。すでに主の十字架の犠牲と復活によって、私達信じる者たちの救いは保証されていますが、これからも勝利に満ちた人生を送り続けていくためには、聖霊によって与えられる霊的支援に絶えず頼り、主の教えに聞き従っていかなければならないということです。

 

【火・明確な境界】

 

主がイスラエルを守ってくださるのは、イスラエルが主に聞き従っている時です。それゆえヨシュアは民たちに、「あなたたちは一人で千人を追い払える。あなたたちの神、主が約束されたとおり御自らあなたたちのために戦ってくださるからである…しかし、もしあなたたちが背いて離れ去り、あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで、婚姻関係を結び、向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら、あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい。」(ヨシュア2310~13)と厳しく戒めました。イスラエルが直面している危険とは何だったのでしょう。それは今なお残っているカナン人の敵意という脅威ではなく、むしろ、彼らと交わることによってもたらされる可能性のある危険でした。そのためヨシュアは、「あなたたちのうちに今なお残っているこれらの国民と交わり、その神々の名を唱えたり、誓ったりしてはならない。それらにひれ伏し拝んではならない」(237)と、またそれは、これらの国民となれ親しみ、婚姻関係を結んで行き来するようになることによってもたらされることを示しました。ヨシュアの言葉に対して、民たちは迷うことなく同意したことでしょう。しかし、士師記2章を見ると、「この土地の住民と契約を結んではならない、住民の祭壇は取り壊さなければならない」(士師記2:2)と主が命じられていたにもかかわらず、民はこの命令に徹底的に従うことをせず、妥協してしまったことが記されています。その結果、どうなったでしょうか。「この土地の神々が入り込み、それがイスラエルの罠」(士師2:3)となり、「主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興ったとき、彼らは主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなったのでした。」(士師2:10、11)。このとき注目しなければならないのは、イスラエルが神に命じられたことに聞き従わなかったことに対して、主が言われた言葉です。「わたしもこう言わざるをえない。わたしは彼らを追い払って、あなたたちの前から去らせることはしない」(士師2:3)。イスラエルの民が忠実に主に従ってきたときは、主も、彼らが安らかに住めるように、イスラエルに立ちはだかる敵が一人もいないようにしてくださいました。しかし、民たちが主に聞き従わなくなったとき、主の守りも取り去られました。私達も、もし周囲に様々な恐れを感じるようなことがあるとするなら、私達は主のみ言葉に聞き従っているだろうかと自問してみると良いのかもしれません。

 

【水・主の怒り】

 

年老いたヨシュアのメッセージの最後は、「もし、あなたたちの神、主が命じられた契約を破り、他の神々に従い、仕え、これにひれ伏すなら、主の怒りが燃え上がり、あなたたちは与えられた良い土地から、速やかに滅び去る。」(ヨシュア2316)という言葉でした。主が約束されたすべての良いことは、何一つたがうことなく、すべて実現したように、もしイスラエルが主の契約を破って偶像の神々に従い、仕え、これにひれ伏すなら、やはり、何一つたがうことなく主の滅びは、速やかにやってくるということです。厳しい言葉ではありますが、主の大きな恵みを知った民にとって、それは当然のことと、とらえたことでしょう。主なる神様は裁き主なのです。また、義であり、聖なる方でもあります。だから、もし、人が神様から離れれば、神様の恵みを失ってしまうことになるのです。この点だけをとらえると、神様は一歩間違うと恐ろしい方だという印象を抱かせるかもしれませんが、しかし、神様に聞き従い、常に神様の愛の中に生きている人は知っています。そこには愛と平和しかなく、恐れは存在していないことを。

 

【木・神につき従う】

 

イスラエルが偶像礼拝の誘惑と神の怒りを避けることができる唯一の方法は、契約の「してはいけないこと」を常に覚えておくことではなく、主との愛の関係の中に生き、それにより、主に聞き従うことが自然なことで、生きる喜びとなっていくことです。ヨシュアは、「だから、あなたたちも心を込めて、あなたたちの神、主を愛しなさい」(ヨシュア2311)と言っているのです。主を愛する時、主の戒めは義務ではなく、喜びとなります。主を愛するためには、主から愛されていることを知ることです。そのために天から聖霊が遣わされているのです。聖霊に満たされるとき、人は神の愛に触れます。その愛は日々、深まりもすれば、薄れもします。だから、神様との関係を日々、意識することが重要です。多くの人は困ったときにだけ神様を意識しますが、何もない平和のときにこそ、主を意識して、感謝と讃美をささげると良いのではないでしょうか。一人ひとりが、信仰によって、主との関係を深め、また強めていかれますようにお祈りいたします。


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