第2回ママカフェ
「最初の学校」

 家庭は最初の学校

子供の教育は家庭で始まります。ここに子供の最初の学校があります。ここで子供は両親を教師として、一生を通じてよい働きをする尊敬、服従、敬虔、自制などの教訓を学ぶのです。家庭での教育の影響は、善悪に対する決定的な力となります。それは多くの点 において、静かにそして徐々になされますが、もしそれが正しい方向に向けられるならば、真理と義のために大きな力となります。

「若枝が曲げられると、その木は曲がったまま 成長する」ということわざは、驚くほど真理をついています。これは子供たちの訓練にもあてはまるのです。ご両親がた、子供たちを本当に 幼い時から教育するということが、神聖な務めとしてあなたがたにゆだねられていることを忘れてはなりません。これらの若木は、神の庭園に植え変えることができるように、思いやりをもって訓練されなければならないのです。家庭教育はどんなことがあってもなおざりにしてはなりません。


考えてみよう!

子育ては神様から与えられた神聖な務めであると理解していますか?

 

親は最初の教師

父親と母親は、子供たちの最初の教師です。親は自分の責任を理解する必要があります。社会は青年のゆくてを誤らせるわなに満ちています。多くの人々は利己的、肉欲的な快楽の生活に心をひかれ、幸福と見える道に隠されている危険や恐ろしい結果を見抜くことができません。食欲と情欲におぼれて精力を使い果たし、幾百万の人がこの世で破滅し、また来世での滅びを招いています。子供たちがこのような誘惑に遭遇しなければならないことを心にとめなければなりません。子供が悪に対する戦いにりっぱに勝てるように、生まれ出る前からその準備を始めなければなりません。

 親は子供たちを、天の家族の一員となるための教育を授けるよう神から託されているものと見なさなければなりません。神に対するおそれと愛をもって、子供をしつけましょう。なぜなら、「主を恐れることは知恵のもとである」からです。神に忠実な人は、家庭生活の中で神をあらわします。彼らは子供をしつけることを、いと高き神から与えられた神聖な仕事と見なします。


考えてみよう!

どうしたら俗悪的なこの世から、神の庭園に植え替えることができると思いますか?

 
詩編113
「いかに幸いなことか。神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」

 
親も成長する


親自身が神の言である聖書に服従するとき、子供たちに言葉と行動で、尊敬と服従を教えることができます。これは家庭で行われるべき働きです。このようにして、子供たちの成長を願いながら親たち自身も成長していきます。このような教育は、ただ単にものを教えるという以上のことを意味しています。

 考えてみよう!

聖書的な子育てを通して、親はどのように成長すると思いますか?

まとめ

子供の教育は家庭で始まり、親が最初の教師です。子育ては神様から与えられた神聖な務めであり、親自身も成長する機会となります。失敗してもやり直すことができます。焦らず、神様に知恵と力をいただきながら、この尊い子育てという務めをなしていきましょう。









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