いつも目を覚まして祈りなさい
2020-05-23
 数ヶ月間私たちを脅かし続けてきた新型コロナウイルスですが、国内ではいよいよ収束しつつある様子ですね。もっとも、首都圏ではまだ火種がくすぶっている感じですが…。そして、外国ではまだまだ悲惨な状態が見られる中、日本では教会の集会を再開する動きが。当名古屋教会は23日、岐阜教会は6月6日より、まずは安息日礼拝のみから再開致します。感謝!(犬山集会も未定ではありますが、様子を見ながら再開日を検討中)
◆収束のために私たちは大小様々な犠牲を払って協力してきましたが、お互いの健闘を称え合いたいと思います。また過酷な医療現場で今もなお闘い続けて下さっている医療従事者の皆様に対して、心より敬意を表したいと思います。そして何よりも、祈りに応えて感染収束へとお導き下さり、集会を再開できるようにして下さった神様に、心からの感謝を言い表したいと思います。聖書にはこのように書かれています。「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって、聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」(詩編103:1~2)
◆さて、この度のコロナ禍で私たちは一体何を感じ取り、何を学んだでしょうか(生活が苦しくて、それどころではない!とおっしゃる方もおられるかも知れませんが、あえて問うてみたいのです)。多くの方は祈ることの大切さを感じ取られたのではないでしょうか。かつて二千年前に、イエス様は世の終わりについて語られた後、このように言われました。「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子(イエス様)の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21:36)
◆一言で「祈り」と言っても、そこには様々な要素が。讃美、告白、悔い改め、献身、願い事、人のための執成し、うめき、嘆き、聖句に基づく黙想、神への傾聴…。これらの作業を通して私たちは神様との交わりを持たせて頂き、不思議にも支えられる体験をしていきます
◆今回の出来事は、聖書によれば、世の終わりに向かっての「序の口」「序章」のようなもの。厳しい混乱が今後も人類を待ち受けている。その混乱の只中で、一体何が大切なのか。聖書は、神様との交わりにより神様とつながっていること、これこそが私たちをどのような時にも支えてくれる大切なものなのだと教えています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハネ15:5)。この、第一とすべきものを第一とできますように!
 

名古屋教会牧師 平田和宣
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